

四国八十八箇所|ご詠歌と巡礼構造を読み解く【全88札所】
発心・修行・菩提・涅槃――八十八の札所と高野山を一つの巡礼として読む
四国八十八箇所は、88の寺院を順番に訪ねるだけの巡礼ではありません。
徳島の「発心」、高知の「修行」、愛媛の「菩提」、香川の「涅槃」という四つの道場を巡り、第88番大窪寺で結願し、さらに高野山への報恩へつながる一連の流れとして捉えると、各札所とご詠歌の意味が見えやすくなります。
本記事では、四国遍路の全体構造、弘法大師との関係、第1番霊山寺から第88番大窪寺までのご詠歌、結願後の高野山へのお礼参りまでを一つの記事で整理します。
ご詠歌を読む際の注意
四国霊場のご詠歌には、仮名遣い、漢字、送り仮名などに表記の違いが見られる場合があります。また、札所にまつわる説明には寺伝や信仰上の伝承も含まれます。本記事では、こうした性格を踏まえ、ご詠歌とその読み解きを分けて掲載します。
本記事で得られる3つのポイント
- 四国八十八箇所を構成する「発心・修行・菩提・涅槃」の四つの道場と、結願後の高野山までの流れが分かります。
- 第1番霊山寺から第88番大窪寺まで、全札所のご詠歌と、その歌を読むための要点を一つの記事で確認できます。
- 弘法大師、善通寺、結願、同行二人、南無大師遍照金剛など、四国遍路を読むための基本語を整理できます。
なぜ重要か:札所を個別の寺院として見るだけでなく、巡礼者の心の変化を表す一つの体系として読むことで、ご詠歌、土地、弘法大師信仰のつながりを理解しやすくなるためです。
四国八十八箇所の全体構造
| 道場 | 都道府県 | 札所 | 寺院数 | 巡礼上の意味 |
|---|---|---|---|---|
| 発心の道場 | 徳島県 | 第1番〜第23番 | 23寺 | 仏道を志し、巡礼を始める |
| 修行の道場 | 高知県 | 第24番〜第39番 | 16寺 | 苦難を通じて自己を鍛える |
| 菩提の道場 | 愛媛県 | 第40番〜第65番 | 26寺 | 悟りへの道を深める |
| 涅槃の道場 | 香川県 | 第66番〜第88番 | 23寺 | 煩悩を離れ、結願へ至る |
| お礼参り | 和歌山県 | 高野山 | — | 弘法大師への報恩・感謝 |
合計88寺。第88番の結願は巡礼の区切りであり、高野山への報恩や、その後の日常へ修行を持ち帰る視点につながる。
四つの道場を一つの物語として読む
徳島県|発心の道場
仏道を求める心を起こし、巡礼を始める段階。
第1番霊山寺から始まる「発心」は、旅行の開始というより、仏道を求める心を起こすことを意味する。
高知県|修行の道場
長い道程と自然の厳しさの中で、自分自身と向き合う段階。
室戸・足摺など自然の厳しさと長距離移動を含む高知の巡礼は、身体的・精神的な修行の性格が濃い。
愛媛県|菩提の道場
修行を通じて智慧を深め、悟りへの道を意識する段階。
「菩提」はBodhi(悟り)に通じる語で、発心と修行を経て智慧を深めていく段階として理解できる。
香川県|涅槃の道場
煩悩や執着から離れることを学び、結願へ向かう段階。
「涅槃」は単純な死ではなく、煩悩の火が消え、迷いから解放された境地を示す仏教語である。
弘法大師・善通寺・結願・高野山
第75番 善通寺|弘法大師誕生の地
第75番善通寺は、弘法大師空海の誕生地として、八十八箇所の中でも大師信仰を考える上で重要な位置を占める。
我住まば よも消え果てじ 善通寺 深き誓いの 法の灯し火
第88番 大窪寺|結願
八十八箇所をすべて巡り終えることを「結願(けちがん)」という。大窪寺はその結願所であり、四国遍路の大きな区切りとなる。
なむ薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は 大窪の寺
高野山|お礼参りと入定信仰
結願後に高野山奥之院へ参拝し、弘法大師へ巡礼完了を報告・感謝する「お礼参り」が行われる。高野山では、次のご詠歌が伝えられている。
ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだおわしますなる
「大師はいまだおわします」という表現は、弘法大師が高野山奥之院で今なお衆生救済を続けているとする入定信仰につながる。
ご詠歌とは
ご詠歌は、仏・菩薩や祖師の徳をたたえ、信仰の心を和歌の形式で表す歌として受け継がれてきた。四国遍路では、仏教の教え、土地の情景、寺名や本尊にまつわる言葉が短い歌の中に織り込まれている。
四国霊場の各札所にはそれぞれご詠歌があり、明治期の道中記には、参拝の作法として札所のご詠歌を三返唱える記述も見られる。ご詠歌は単なる寺院紹介ではなく、仏の教えや巡礼者の祈りを声に出して確かめる信仰実践の一つとして捉えることができる。
備忘録|四国遍路の重要用語
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 発心 | 仏道を求めようと決意すること |
| 修行 | 身体・言葉・心を整え、教えを実践すること |
| 菩提 | 悟り・智慧 |
| 涅槃 | 煩悩から解放された境地 |
| 結願 | 八十八箇所すべての巡礼を終えること |
| 同行二人 | 遍路は弘法大師と共に歩いているとする考え |
| 南無大師遍照金剛 | 弘法大師への帰依を表す御宝号 |
| お礼参り | 結願後、高野山などへ巡礼完了を報告する参拝 |
四国八十八箇所|全88札所のご詠歌と読み解き
徳島県|発心の道場
第1番 霊山寺
霊山の 釈迦の御前にめぐりきて よろずの罪も消えうせにけり
やっとの思いで四国巡礼に来た喜びと、それまでの苦悩と決意の喜びは
それだけで「すべての罪」が消えていきそう、消えてしまったことです。
第2番 極楽寺
極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口癖にせよ
巡礼の間は、ひたすら「南無・・」一心にという教え
極楽寺。
第3番 金泉寺
極楽の宝の池をおもえただ こがねの泉すみたたえたる
寺名の「金泉」と、極楽浄土に描かれる宝池や黄金の泉を重ねて読むことができる。
金(こがね)泉(いずみ)寺。
第4番 大日寺
眺むれば月白妙(しろたえ)の夜半(よは)なれや ただ黒谷に墨染めの袖
色合いの技巧に出家身と清浄な月の対比。自然を感じる境地ですか。
へんろの白装束。僧(大師)の黒染め姿。
第5番 地蔵寺
六道の能化(のうげ)の地蔵大菩薩 導きたまえこの世のちの世
地蔵寺のありがたさ ひたすら帰依し 仏にすがる
地蔵菩薩はあらゆる世界(六道)に現れて、衆生を救います。
第6番 安楽寺
かりの世に知行争う無益(むやく)なり 安楽国の守護をのぞめよ
知識や名誉は無意味 ただ無垢なこころにて祈りなさい
安楽寺の名前を読み込んで。
第7番 十楽寺
人間の八苦を早く離れなば 至らん方は九品十楽(くぼんじゅうらく)
八苦の海に沈む衆生に 浮かぶ瀬ありとの勇気を与えて。
「八苦」「九品」「十楽」と数字を重ねた表現が特徴的で、「離れなば」は「もし離れたならば」の意。
人間の持つ八つの苦しみ(飢、渇、寒、暑、水、火、力、兵)からのがれ極楽浄土の十の光明に
輝く楽しみが得られます。
第8番 熊谷寺
薪(たきぎ)とり水熊谷の寺に来て 難行するも後の世のため
巡礼に来て苦行を耐える気持ちを後世に頼む思い
水を汲むとクマがやの語呂あわせ。
第9番 法輪寺
大乗の誹謗(ひぼう)も科(とが)もひるがえし 転法輪の縁とこそきけ
仏涅槃の寺 仏像をあがめる大乗 初転法輪はブッダの目覚め。
法輪寺ですから。仏はあらゆる姿で、衆生の前に現れます。
第10番 切幡寺
欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる
貧・瞋・痴は心の迷い ふっきる勇気を もたないと
欲を切ると切(きり)幡寺
第11番 藤井寺
色も香も無比中道(むひちゅうどう)の藤井寺 真如の波のたたぬ日もなし
迷いを失くす強い気持ち。いつも信心の心は、尽きません。
不尽(ふじん)と藤(ふじ)の掛詞。
第12番 焼山寺
後の世をおもえば恭敬(くぎょう)焼山寺 死出や三途の難所ありとも
難行苦行(くぎょう)とは、越えること。へんろころがしの後は、爽快。
恭敬(くぎょう)と苦行。
第13番 大日寺
阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世
生まれ変わった自分に 清々しくも祈りの経を。
「ゆう」は言うと夕。たすきを「掛け」ると「懸ける」。
第14番 常楽寺
常楽の岸にはいつか至らまし 弘誓(ぐぜい)の船に乗りおくれずば
きっと到着するに違いない 四弘誓願を心に刻んでいるならば
常楽寺のお庭は流岸です。船は、岩=岸からの発想。
第15番 国分寺
うすく濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死(るてんしょうじ)の秋のもみじ葉
色づく紅葉と「流転生死」を重ね、生死を繰り返す人の世の移ろいを詠んだ歌として読める。
濃く=国(こく)。「分け」は国分寺の分。
第16番 観音寺
忘れずも導き給え観音寺 西方(さいほう)世界 弥陀(みだ)の浄土へ
光明真言の印をいただき あたかも弥陀浄土にいるがごとし
「忘れないで」です。「も」は強調。「わすれしも」だったら「わたしがわすれて
しまったとしても」なんですけどね。
第17番 井戸寺
面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかや落ちなん
面影の井戸は 今も衆生を映し 垢(あか)は閼伽水(あかみず)とならんことを。
井戸寺。「結ぶ」は、「手ですくう」。閼伽水はお供えの水。
第18番 恩山寺
子を生めるその父母(ちちはは)の恩山寺 訪(とぶ)らひがたきことはあらじな
女人禁制だった寺。決して訪れられない寺ではないはずだよ。
お大師さまが母を迎える修法をして。「あらじな」=決してないことだなあ。
第19番 立江寺
いつかさて西の住まいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の舟に乗りていたらむ
関所寺 四弘誓願に誓いも新た。補陀落の思い、いざ出発!
☆『四弘誓願』(しぐせいがん)
1.衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
私たちは未完成だけれども、たくさんの人が幸せになれるように勤めます。
2.煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
尽きる事のない煩悩ですが、できる限りなくしていきます。
3.法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
釈迦様の教えは無限に深いですが、そのすべて学ぶよう勤めます。
4.仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
最上の悟りを得て、仏様と同レベルに達するまで行を積みます。
第20番 鶴林寺
しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
鶴が運んだ金の地蔵。帝釈天に守られて。お大師さんがそこにおわすか。
鶴林寺。山門は、二羽の阿吽の鶴。
第21番 太龍寺
太龍の常に住むぞや げに岩屋 捨心聞持(しゃしんもんじ)は守護のためなり
虚空蔵求聞持法の捨心岳。龍に守られて、大師は山になにをご覧に。
宇宙の声が聞こえ、すべての智慧を理解できるようになります。
第22番 平等寺
平等にへだてのなきと聞くときは あら頼もしき仏とぞみる
平等寺。善男善女に 仏はあまねく そのご威光をふりそそぎます。
「あら…ぞみる」は、仏の平等な救いを頼もしく感じる心を強く表す言い回し。
第23番 薬王寺
みな人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬を与えまします
お薬師さまは、心の病にも 瑠璃光世界に誘い、安らかにしてくれます。
厄除けの階段。すべての段には薬師経が埋まってる。
高知県|修行の道場
第24番 最御崎寺
明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまじ
求聞持堂、みくりど。大師の明星は室戸の海に今も輝きます。
「などかあらまじ」=どうしてありましょうか。絶対にありません。の意。
第25番 津照寺
法(のり)の船入るか出ずるかこの津寺(つでら) 迷うわが身を乗せて給えや
はるか補陀落への船出 一心に。迷いのこの身、乗せてください。
補陀落渡海は、土佐や紀伊を中心に。船乗りは、板子一枚下は地獄です。
第26番 金剛頂寺
往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空
東はお薬師。西は阿弥陀。極楽往生は、すべての衆生に。
24番最御崎寺は東寺。26番金剛頂寺を西寺。
第27番 神峯寺
みほとけの恵みの心神峯(こうのみね) 山も誓いも高き水音
ご聖水湧く神峯寺。不動明王のご加護のもとに、み仏の教えを請う気持ち。
神(こう)=請う。
第28番 大日寺
露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みをはこばざらまし
大日の御光は、あまねく輝き どうしてもお参りしたいものです。
「などか・・・ざらまし」=どうしてお参りしないことがあるだろうか。
第29番 国分寺
国を分け宝をつみてたつ寺の 末の世までの利益(りやく)のこせり
格式高い国分寺。現世利益のお薬師様。おん ころころ ・・
「国を分け」は、国分。国宝=千手観音、脇侍不動明王、毘沙門天、行基作
第30番 善楽寺
人多く立ち集まれる一の宮 昔も今も栄えぬるかな
阿弥陀さん。万衆の賑わいは、永久に尽きません。
一宮は、神社も寺も格式がちがいます。神仏習合の場。
第31番 竹林寺
南無文殊 三世(みよ)の仏の母と聞く 我も子なれば乳(ち)こそほしけれ
文殊菩薩は、過去・現世・未来に智慧(ち)を与えて欲しいものです。
「乳」と「智」を響き合わせ、文殊菩薩の智慧を求める心を表した歌として読める。
第32番 禅師峰寺
静かなる我がみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は法(のり)の早船
眼下に土佐湾。補陀落渡海の寺。深く三宝を信じ、こころ静かなり。
法は、仏のおしえです。
四諦。苦諦 「人間の存在はすべて苦である。それから逃げ隠れしないで、その苦の実体を見つめよ」
集諦 「苦の起こった原因を探求・反省し、見極めよ。」
滅諦 「苦の原因である無智と煩悩を見極めれば、智慧の光りに照らされる。苦を滅した安穏の境地は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三大真理を悟ることによって始めて達せられる。」
道諦 「滅諦に至る道は、八正道、六波羅蜜を行ずることである」
第33番 雪蹊寺
旅の道 うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月
たとえ飢えたとしても、幸福です。後の楽しみは有ります。
うえ=飢え、上 高福=幸福
第34番 種間寺
世の中に 蒔ける五穀の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり
大師の播かれた五穀の種が、衆生を救います。
第35番 清瀧寺
澄む水を 汲むは心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣
丘陵の麓、清らかな湧き水に心も静かに澄んできます。
第36番 青龍寺
わずかなる 泉に住める 青龍は 仏法守護の 誓いとぞ聞く
不動明王。独鈷が舞い落ちた地。170段の石段を上がるそこが、龍の住む山。守ってください。
第37番 岩本寺
六つのちり五つの社あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ
色・声・香・味・触・法という六塵と、寺の本尊に結びつく信仰を重ねた歌として読むことができる。
※煩悩とは、自分にとって離しがたい、捨てがたい色・声・香・味・触・法といった6つの感情(六塵)と眼・耳・鼻・舌・身・意といった6つ感覚(六根といいます)のこと。六塵にはそれぞれ楽・苦・捨の三受(楽しい・苦しい・どちらでもない)があり、六根にはそれぞれが物事に対し好・嫌・平の三種(良い・悪い・どちらでもない)があります。これらの感情と感覚すべてをあわせ六塵×三受+六根×三種で36の煩悩となります。そして、この36つ煩悩が、過去・現在・未来つまり三世にわたって生じるという考えから、 36かける3で108の煩悩となるとされています。
第38番 金剛福寺
ふだらくやここは岬の舟のさお とるもすつるも法(のり)のさだ山
足摺はふだらくの岬。生きるも死ぬも法の定めか。問われます。閻魔さまの声に聞こえますね。
第39番 延光寺
南無薬師諸病悉除(しつじょ)の願こめて 詣る我が身を助けましませ
おんころころ、無病息災の祈りを込めて、どうか助けてください。
「ましませ」は、「くださいませ」というとても丁寧な敬語。
愛媛県|菩提の道場
第40番 観自在寺
心願や自在の春に花咲きて 浮世逃れて住むやけだもの
お薬師、阿弥陀、観音。心願成就。観自在。けだもの=人間?!
第41番 龍光寺
この神は三国流布(さんごくるふ)の密教を 守り給はん誓いとぞ聞く
お稲荷神が、大師に法を守ると。
第42番 仏木寺
草も木も仏になれる佛木寺 なお頼もしき鬼畜人天(きちくにんてん)
牛に乗った大師が、玉を。生きとし生けるものすべてが救われる。
第43番 明石寺
聞くならく千手不思議の誓いには 大盤石(だいばんじゃく)もかろくあげ石
女神が残した大石も、千手観音の誓いで、軽くあげられます。
「ならく」=「きくところによると」伝聞の助動詞。
第44番 大宝寺
今の世は大悲の恵み菅生山(すごうさん) ついには弥陀の誓いをぞ待つ
大悲は阿弥陀如来。「すごうさん」=菅生山と「過ごそう」。ついには=最後には。阿弥陀48のご誓願。
第45番 岩屋寺
大聖の祈る力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある
大聖=弘法大師か。げに=本当に。穴禅定。せり割禅定。山そのものが、不動明王です。
第46番 浄瑠璃寺
極楽の浄瑠璃世界たくらえば うくる苦楽は報いならまし
たくらふ=比べる、比較するの意。衛門三郎ではないが、自分がこの世で受ける苦楽は因縁の報いのようだ。
第47番 八坂寺
花を見て歌読む人は八坂寺 三仏じょうの縁とこそ聞け
三仏は、阿弥陀三尊。衛門三郎の菩提寺です。役の行者、修行の地でもあります。
第48番 西林寺
弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ
西林寺の阿弥陀様は、霊験すごくて、後ろ向きに安置されているとか。
第49番 浄土寺
十悪のわが身を捨てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ
十善戒すべて、捨てきれないこの身。それでも仏は許してくれます。「こそすれ」=特にそうすればいい。
空也上人の像が。ゆかりの地です。
第50番 繁多寺
よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ
何事も多忙でも決しておこたらずに、健康をいのりましょう。
第51番 石手寺
西方をよそとは見まじ安養の 寺にまいりて受くる十楽
西方極楽は、よそごとと見てはならない。 寺参りしてこそ、十楽を受けることができます。
第52番 太山寺
太山へ登れば汗の出でけれど 後の世思えば何の苦もなし
太山寺の参道は長いです。でも「後世」を願う気持ちがあれば、なんの苦労もありません。
第53番 円明寺
来迎の弥陀の光の円明寺 照りそう影は夜な夜なの月
月光を阿弥陀如来の光明に重ね、「影」を月の姿として読むことで、来迎のイメージが浮かぶ。
第54番 延命寺
くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
今は延命寺ですが、53番と同じ名前だったんです。だからご詠歌も
曇ることなくすべてが明らかな鏡のご縁とお見受けすれば、すべてお姿を見せてくれるものだなあ」
第55番 南光坊
このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹(すいじゃく)
三島=見し間。南光坊は、大三島の神の別の宮であっても、同じように仏が別の姿でいらっしゃるだけです。
第56番 泰山寺
みな人のまいりてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ
泰山(たいさん)=退散(かえる) 来世に極楽成仏の引導を頼んでいることよ。
第57番 栄福寺
この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏
このお寺は、八幡宮別当寺。海難事故のお守り寺。阿弥陀様と勝岡八幡さま。
第58番 仙遊寺
立ち寄りて作礼の堂にやすみつつ 六字をとなえ経を詠むべし
龍女が一刀三礼して作った千手菩薩。六字は南無阿弥陀仏。
第59番 国分寺
守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
国分寺は、薬師如来の官寺。ますます私たちに恵みをくださいます。
第60番 横峰寺
たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救うものかな
横峰寺。すべての人を救ってくださることだなあ。
第61番 香園寺
後の世を思えばまいれ香園寺 止めて止まらぬ白滝の水
大日如来、子安大師の寺。聖徳太子建立とか。
第62番 宝寿寺
五月雨のあとに出でたる玉の井は 白坪なるや一の宮かわ
伊予一国一宮の別当寺。小さいながらも由緒正しいお寺。
第63番 吉祥寺
身のうちの悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥を望み祈れよ
くぐり吉祥天。七福神のお堂。金剛さったの秘密儀軌にも吉祥天で、息災・敬愛の福を祈る。
第64番 前神寺
前は神うしろは仏 極楽のよろずの罪をくだく いしづち
石鎚山の前神寺。横には石鎚神社。おやまには、奥前神寺。成就社。石の槌で罪を打ちくだけ!
第65番 三角寺
おそろしや三つの角にも入るならば 心をまろく慈悲を念ぜよ
不動護摩に、三角の護摩壇でする祈祷は、破魔・降魔!三角(さんかく)寺。
香川県|涅槃の道場
第66番 雲辺寺
はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今はふもとにぞみる
雲辺寺は、すごい山の頂に。見渡すふもとは、観音寺市。
第67番 大興寺
植えおきし小松尾寺を眺むれば 法(のり)のおしえの風ぞ吹きぬる
大興寺は小松尾寺。大師お手植えの三鈷の松。
第68番 神恵院
笛の音も 松吹く風も 琴弾くも 歌うも舞うも 法の声々
琴弾八幡宮の山。有明海岸には「寛永通宝」。
第69番 観音寺
観音の 大悲の力 強ければ 重き罪をも 引き上げてたべ
68番と同じ境内に。本尊観音菩薩。たべ=たまえ。
第70番 本山寺
本山に 誰か植えける 花なれや 春こそ手折れ たむけにぞなる
本山寺。広い境内。五重塔。四国八十八寺中、唯一の馬頭観音。
第71番 弥谷寺
悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 ただかりそめも 良き友ぞよき
なんも=たとしても。「いや・・・よき」=ほんとうにいいことだよ。たとえ一時の友人だとしても。
第72番 曼荼羅寺
わずかにも 曼荼羅拝む 人はただ 再び三度(みたび) 帰らざらまし
曼荼羅寺。「ざらまし」=きっと・・ないことはない。
第73番 出釈迦寺
迷いぬる 六道衆生 救わんと 尊き山に 出ずる釈迦寺
出釈迦寺に伝わる弘法大師の捨身誓願の伝承と結びつき、迷う衆生を救う釈迦の慈悲を詠んだ歌として読める。
第74番 甲山寺
十二神 味方に持てる 戦には 己と心 兜(かぶと)山かな
甲山(こうやま)寺。薬師十二神将が、「己と心」を守ってくれます。山には毘沙門天も。
第75番 善通寺
我住まば よも消え果てじ 善通寺 深き誓いの 法の灯し火
私が住んだならば、まさか消えることはないだろう。ここはお大師様の誕生の地。
第76番 金倉寺
まことにも 神仏僧を ひらくれば 真言加持の 不思議なりけり
役行者、多くの高僧を送り出した寺。
第77番 道隆寺
願いをば 仏道隆に 入り果てて 菩提の月を 見まくほしさに
道隆寺。願いを仏道に頼む。開眼の月を見たいがために。
第78番 郷照寺
踊り跳ね 念仏唱う 道場寺 拍子を揃え 鐘を打つなり
四国唯一の時宗の寺。踊り念仏、うちわ太鼓。
第79番 天皇寺
十楽の 浮き世の中を 訪(たず)ぬべし 天皇さえも さすらいぞある
崇徳天皇の棺があり、名前を天皇寺とした。「十楽」は極楽の意味。
第80番 国分寺
国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ
讃岐国分寺。ましませ=助けてください。
第81番 白峯寺
霜寒く 露白妙の 寺のうち 御名を唱ふる 法の声々
白峯寺 はるか瀬戸大橋が見えます。
第82番 根香寺
宵の間の たえふるしもの 消えぬれば あとこそ鐘の 勤行の声
根香寺 西行ゆかりの寺 五色台(曼荼羅五仏の山)
第83番 一宮寺
讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしら言ふ
地獄の釜の音が聞こえます。
第84番 屋島寺
梓弓 屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ
梓弓は 神に祈るものです。ビンビンとつるを弾きます。平家ゆかりの屋島寺。もののふ=兵。
第85番 八栗寺
煩悩を 胸の智火にて 八栗をば 修行者ならで 誰か知るべし
八=焼く。岩山の頂上には、お社が。 「ならで・・」=でなくて、いったい誰が知っているだろう。
第86番 志度寺
いざさらば 今宵はここに 志度の寺 祈りの声を 耳に触れつつ
第86番志度寺まで来ると、結願の第88番大窪寺まで残り二札所となる。ご詠歌にも、旅の終盤に一夜を過ごし祈る巡礼者の姿が重なる。
第87番 長尾寺
あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えよ
本歌「あしびきの山鳥の尾のしだりおの」。「あしびきの山鳥の尾の」までが序詞。
第88番 大窪寺
なむ薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は 大窪の寺
結願所。お薬師様です。
高野山・御宝号・十善戒
伝承の扱いについて 高野山や弘法大師にまつわる話には、信仰上の伝承として受け継がれてきた内容があります。以下は、その性格を踏まえて読む必要があります。
「ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる」
この歌は、天台宗比叡山の座主を務めた慈鎮和尚(慈円僧正)の作と伝えられている。
高野山のご詠歌として唱えられ、弘法大師が今も衆生済度を続けているとする入定信仰を象徴する歌の一つとされる。
「南無大師遍照金剛」の御宝号は、平安時代中期、醐醍天皇より「弘法大師」のおくり名を
賜った真言宗長者観賢(かんげん)僧正(讃岐出身)によって初めて唱えられました。空海入定後86
年のこと。
86年後の延喜年間、醍醐天皇(そのときの天皇)の枕元に空海(一人の僧)が立ち、
「高野山結ぶ庵(いおり)に袖くちて こけの下にぞ 有明の月」 という歌を詠んだそう
です。天皇は空海上人が今も衣の袖が朽ちる果てるまで衆生済度に生きておられる、その姿は
あたかも有明けの月のごとく世間の闇を照らしておられるとお気づきになられたのです。
醍醐天皇はすぐさま檜皮色(ひわだいろ)の衣を空海に贈ることにされ、空海の曾孫弟子にあたる
東寺の観賢にそれを託したのです。(当時、天皇の父君で、京都御室仁和寺を開かれた寛平法皇
『宇多天皇』と、観賢僧正は空海上人に大師号を賜るよう働きかけておられた) 観賢はその衣を
持って奥の院御廟に着いたとき、霧がかかって祖師の姿が見えない。観賢がひと目祖師にお目に
かかりたいと心に祈ると、霧が晴れ、そこに空海が姿が現した。見ると、衣は長い間取り替えられる
ことがなかったため、ボロボロになり、風が吹くと塵になって飛んでいきそうなありさまだったそうです。
観賢は空海の衣を新しい衣に替えたのです。このとき、石山寺(西国第13番)の僧侶である弟子の
淳祐(しゅんにゅう)を一緒に連れて行ったそうですが、淳祐にはお姿が見えなかったそうです。
そこで観賢が淳祐の手を取り、暖かい空海の膝にそっと触れさせると、淳祐の手にはなんとも
かぐわしい香りが移り、その香りはいつまでも消えることがなかった。石山寺に戻った淳祐は、
その手で寺の経典を整理したり、多くの写経をしたのですが、その経典にもよい香りが移り、
いつまでも消えなかったという。石山寺では淳祐の経典を「薫の聖教」と呼び、大切にされています。
衣を取り替えた観賢は、次に祖師の髪を剃ることにした。伸びた髪を慎重に剃刀で剃って
さしあげたそうです。そして観賢は「仏に仕える淳祐にも祖師のお姿が見れなかったのだから、
他の人にも見えないだろう。そのことで空海の入定が疑われるようなことがあってはならない」と
考え、まわりに石垣をめぐらして封印してしまったのです。以降、御廟には誰一人として入ることは
出来なくなったそうです。このとき観賢が使った剃刀は、彼の出身地の讃岐国に持ち帰ったそうです。
十善戒のご詠歌
不殺生 なぐさみにものの命をとる人は、末々までも栄えざりけり
不偸盗 ひまぬすむ心は、人のもの盗む 盗みのわざとかわらざりけり
不邪淫 色欲はわが身のくさり心して、浮気起こさず しられもすな(してはいけない)
不妄語 夢だにもいつわり云(ゆ)うなもろ人よ 仏は常にしろししめすなり
不綺語 かざりごと云(ゆ)うてその場を通すとも 末は通れぬ極楽の道
不悪口 人々をそしりからかうひまあらば だらにそなえて信心をせよ
不両舌 一枚の舌を二枚に使いすぎ 自ら招く口の災い
不慳貧 苦しみは欲の多きがもといなり 足ること知れば心安らか
不瞋恚 腹を立ていかりくるえる振る舞いで 思わぬ罪の報い恐ろし
不邪見 よこしまな人見て直せわが心 よきもあしきもわが身なりけり
これらの十善戒のご詠歌は、『真言在家看経法則』に収録されたものとして伝えられている。
ご詠歌を読む際に押さえておきたい3つの点
POINT 1
ご詠歌には表記ゆれがある
仮名遣い、漢字、送り仮名、句読点などは資料によって異なる場合があります。本記事では、古語や伝統的な表現をできるだけ残し、全面的な現代語化はしていません。
POINT 2
注釈と史実は同じではない
語呂合わせ、寺伝、信仰上の伝承、参拝者の実感を表した説明も含まれます。公開情報として引用・転用する場合は、各札所や霊場会、宗派等の公式情報との照合が必要です。
POINT 3
第88番は「終点」だけではない
結願を区切りとしながら、高野山への報恩、そして日常へ戻った後の実践まで含めて考えると、巡礼の意味がより立体的になります。
まとめ|八十八箇所を一つの巡礼として読む
四国八十八箇所は、徳島・高知・愛媛・香川を巡る地理的な旅であると同時に、発心 → 修行 → 菩提 → 涅槃 → 報恩という精神的な流れとして整理できます。
各札所のご詠歌を順に読むと、寺名や土地の情景だけでなく、迷い、祈り、慈悲、浄土、智慧、結願といった主題が繰り返し現れます。88首を一つのまとまりとして読むことで、四国遍路が長く受け継がれてきた理由の一端も見えてきます。
参考資料
- 「四国八十八ヶ寺 ご詠歌 一覧」
- 『高野山真言宗 檀信徒必携』
- 『真言在家看経法則』
参考資料について
ご詠歌や寺伝には、時代や伝承経路による表記・解釈の違いがあります。参拝、研究、引用などで厳密な確認が必要な場合は、各札所、四国八十八ヶ所霊場会、各宗派が公開する最新の公式情報もあわせて確認してください。
記事の独立性について
本記事は、特定の寺院、宗派、霊場会、旅行会社等から依頼・監修を受けたものではなく、四国八十八箇所の巡礼構造とご詠歌を独立した編集方針で整理した解説記事です。
ご詠歌、寺伝、信仰上の伝承、札所の由緒には資料による異同があります。参拝、研究、引用等で正確な確認が必要な場合は、各札所、四国八十八ヶ所霊場会、各宗派等が公開する最新の公式情報を確認してください。
内容確認日
2026年9月27日



